広島県の文化資源画像

法楽踊り(ほうらくおどり)

 「法楽」は村上海賊が出陣する時、配下の村々で戦勝祈願と士気を鼓舞するために行われた法楽能が起源といわれる。因島中庄町、成願寺にある「法楽」の幡箱の記録から、江戸時代の天保4年(1833年)以前から既に行われており、室町時代に始まった行事と見られている。江戸時代になって村上海賊が衰退してから信仰行事として残り、疫病や病害虫退散のおはらいをするとともに、新仏を法悦裡に送り出す風習になった。旧暦の7月16日に島内各地で行われていたが、明治時代になって一時廃れた。ところが疫病が流行したため椋浦町で8月16日の送り盆の行事として復活した。踊りは町の若い男子が浴衣、はかま、たすき、鉢巻き、手甲、脚半、わらじ姿で太刀と扇子を持ち、幡を中心に輪になって太鼓、鉦にあわせて「なむあみだぶつ」と唱えながら回り、「とんだ、とんだ」と太刀か扇子をかざして飛び回る。踊りに各種ののぼりが入り交じり、町内の神社、寺、海辺、墓場を踊り歩き、最後の場所では新盆の家ののぼりが加わり「南無阿弥陀仏」の5色ののぼりが逆回りで行進する。外浦町で行われている踊りは椋浦町のものとあまり変化はない。踊りの間に稲穂の形をした竹ののぼりを絡み合わせ、豊作を祈る行事が加わり、陣笠に村上海賊の家紋の入った法被を着る。椋浦町の法楽踊りは昭和56年4月17日、県無形民俗文化財に指定された。
05005.JPG

前のページへ戻る