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厳島連歌(いつくしまれんが)

    第一
浦遠く霞て沖津浪もなし  義隆
汐干のいつこ春の雁か音  親高(ママ)
出る夜の月の友船長閑にて 弥阿
    第二(略)
 天文20年(1551)、大内義隆は厳島神社において1,000句の連歌(れんが)を興行した。その初めの部分である。戦国武将たちは好んで連歌の興行をしている。
 永正15年(1518)、友田興藤(ともだおきふじ)は京都で興行した連歌を厳島神社へ奉納している。野坂文書の中には、このような連歌が数多く含まれている。
 野坂家の蔵する賦物集(ふしものしゅう)は、鎌倉時代にさかのぼるもので、連歌賦物集の最古本といわれる。重要文化財である。
 厳島神社と連歌との関係は密接であった。それを象徴するかのように連歌の会所が存する。同社西廻廊に連続する天神社(てんじんしゃ)本殿(国重文)は、朱塗りの建物中に珍しい素木(そぎ)造りである。別名を「連歌堂」といい、連歌の会が催されていた。弘治2年(1556)、毛利隆元の造立と伝えている。
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