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浄土寺観世音法楽和歌
(じょうどじかんぜおんほうらくわか)
弘誓深如海 左兵衛督源尊氏
わたつ海のふかきちかひのあまねさに
たのミをかくるのりのふねかな
侍多千億仏 左兵衛督源尊氏
つかへこしそのゆへにこそいまもかく
まことのみちにさはらさりけれ
建武2年(1335)10月、足利尊氏は後醍醐天皇の政府へ反旗をひるがえした。同3年正月、京都の戦に敗れて九州へ西走した。ここで軍勢を整えて東上の途次、尾道浄土寺へ参詣し、本尊十一面観音へ法楽和歌33首を献上し、戦勝の祈願を行った。奥書には「建武3年5月5日備後国浄土寺に於いて之を詠む」と見える。
その後、戦勝した尊氏は、室町幕府を創立し、政権を取る。彼は暦応年間、国毎に安国寺を設置することとした。備後では、鞆の金宝寺がこれに当てられた。安国寺と同所に建てられる利生塔(りしょうとう)は、備後に限って浄土寺に置かれたのもこのような足利氏と同寺との関係の深さに由来するのであろう。
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