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道ゆきぶり
(みちゆきぶり)
室町時代初期の武将今川了俊(りょうしゅん)(貞世)の京都から赤間関までの紀行文。紀年の明記はないが、応安4年(1371)九州探題(きゅうしゅうたんだい)として下向した際のものとされる。
道筋は、「備中屋蔭(やかげ)からおのみちの浦に着く。ここは山麓に沿いて網干すほどの庭のない家が所狭しと並ぶ」とし、「しほやく」島の歌島を紹介する。次いで西下の途次、「吉和」・「めかりの浦」・「いんの島」の名前が出る。備芸国境から沼田(ぬた)へ入り、入野(にゅうの)の大寺(竹林寺(ちくりんじ))を経、高谷(たかや)に至る。さらにおほ山・瀬野と山路を進み、かひだの浦に着く。ここで20日間逗留(とうりゅう)後、しほひの浜を通り、佐西(ささい)の浦に着く。厳島詣でを終え、地御前(じごぜん)の社の西ひがたより山路に入り、おほのを経て、芸防国境を越え岩国に向かっている。
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