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放浪記(ほうろうき)

 「放浪記」は、彼女の詩の才能を認めた作家三上於菟吉の推薦で、三上の妻長谷川時雨(しぐれ)の主宰する雑誌「女人芸術」の第二号<昭和3年(1928)>から5、6回にわたって連載され、好評をうけた。昭和5年(1930)改造社の「新鋭文学叢書」の1冊として上梓(じょうし)されてベストセラーとなり、続いて「続放浪記」も同じ叢者の中で出版し、2年間で30万部も売れたといわれる。林芙美子の出世作であるとともに代表作であるといわれる。
 冒頭に、「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。―故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった」と記しているが、この流浪性は彼女の生涯を貫いていて、それが彼女の文学の中核であったといわれる。
 林芙美子は、大正5年(1916)尾道市第二小学校に転入学し、翌々年旧尾道市立高等女学校入学、大正11年(1922)同校を卒業している。
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