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厳島神社の社殿
(いつくしまじんじゃのしゃでん)
原始古代の自然崇拝の時代には、厳島は、島自体が御神体としてあがめまつられ、海中に鳥居を建て、海上又は対岸より拝されていたようで、いつしか、この島も「いつき島」と呼ばれるようになったものと思われる。この島に厳島神が鎮座したのは、社伝によると、推古天皇元年(593)といわれる。しかし、現在のような社殿の規模が定まったのは、平安時代末に、平清盛の支援によって造営された時であり、当時の貴族の住宅であった寝殿造りの構想を海中において実現したものと思われる。海中の大鳥居をくぐって真っすぐに進むと、火焼前(ひたさき)に至り、平舞台、高舞台、本社の祓殿(はらいでん)、拝殿、幣殿、本殿と続き、不明門へと陸地に至る。社殿は、これを中心に、108間に及ぶ廻廊が東西に延びて複雑な形態となっている。
東廻廊の側には、現在の昇殿(しょうでん)入口から摂社客(まろうど)神社の本殿・幣殿・拝殿・祓殿と朝座屋(あさざや)、揚水(あげみず)橋、西廻廊側には、天神社、大国神社、長橋、反(そり)橋に能舞台と能楽屋がみられる。
ともあれ、島の最高峰の弥山(みせん)に続く濃緑の山並みを背に、御笠浜の海に展開する丹(に)塗りの廻廊と社殿が潮(うしお)に浮かぶ姿は、平安絵巻を彷彿(ほうふつ)させるものがある。また背後に点在する五重塔や千畳閣、大聖院や多宝塔などに、歴史の息吹(いぶ)きとロマンを感じずにはいられない。
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