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巴橋(ともえばし)

 三次は川の町である。江の川の本流に西城川・馬洗川が流れ込み、その有様が「巴形」に見えるところから、その合流点の辺りを巴峡と呼ぶなどしている。三次の町のシンボルともいえる巴橋は、三次と十日市の町を結びその巴峡に架かる橋である。
 三次の地は古代以来交通の要衝で、陰陽諸国を結ぶ雲石路、石州路、雲伯路、備中路などの分岐点として市が立ち、多くの人々や物資が行き交った。藩政時代には防衛上の理由などから三次町への架橋は認められず、岩神の渡しという渡船がその役を果たしていた。藩政時代末期には、渡しに替わり岩神橋が架けられ、コンニャク橋と俗称されていたというから仮橋であったかと推測される。
 巴橋の名が世に出るのは明治21年(1888)のことである。仮橋に替わる木製の橋が取り付けられ、昭和13年(1938)にはコンクリート製の橋に、さらに昭和58年(1983)には赤いアーチ型の橋に生まれ変わった。この橋には花壇や4ヵ所の展望台が設けられるなど、巴橋が市民の憩いの場ともなるように配慮されている。
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写真説明

昭和60年頃の巴橋
【写真ガイド】
JR芸備線三次駅から徒歩15分

メモ

 三次の夏の風物詩は鵜飼である。周囲の山々が深い藍色の中に沈み、川風が心地よい涼しさを送ってくるころ、江の川の川面にはかがり火が燃え、鵜舟を操るかいの音と、鵜を操る鵜匠の掛け声が辺りにこだまする。毎年6月半ばから9月半ばにかけての、三次の年中行事である。

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