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可部峠と石見街道(かべとうげといわみかいどう)

 陰陽連絡の主要な脇往還、石見路は、毛利氏が中国地方の覇者となったころ多治比、壬生、有田、本地、可部峠、可部を通る安芸路として開かれ、福島氏のころ整備されて石見路となった。寛永12年(1635)参勤交代制の確立によって官道となり、文久年間(1861―1864)の絵図にも載るほど。大正8年(1919)、乗合バス時代に入って以来、通行人も減り寂れていった。
 安芸の側に2つの大きな峠がある。可部峠と大朝の坂本峠ともに、標高600メートルを超す。可部峠は、「マンサク峠」、「馬糞峠」といった別名で親しまれた。浜田の漁港から「塩マンサク」が、この峠を越して芸南に運ばれた。旅人や人足の古わらじ、馬の脱糞などが、峠路に山と重なったという。にぎわいぶりが想像される。
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