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草戸千軒町遺跡
(くさどせんげんちょういせき)
昭和初年の芦田川付替工事の際、五輪塔、陶磁器、古銭などが出土し、この場所が『備陽六郡志』などにみえる草戸千軒町の跡とみなされ、昭和36年(1961)から調査が行われた。出土遺物からみると、遺跡は平安末から江戸時代の始めにわたる。
遺構は、まず中州の中央から西に、平安末から鎌倉時代の建物、井戸、溝が分布する。ついで南北朝から室町前半には、中州全体に建物、井戸、土壌、溝などがあり、室町後半には石敷の道路や柵、溝に囲まれた町割がみられ、最盛期をむかえる。それ以降は遺構が激減し、江戸初期には、洪水によって消滅する。
出土遺物には、中世の各種の生活用具や生産用具があり、中世の庶民生活の実態を示す多量のものがある。4000点にのぼる墨書木札類は、商取引に関するものが多くて貴重である。
遺跡は、まず福山市西郊にあった長和荘(ながわのしょう)に関連した物資の集散地である港として開かれる。その後は周辺地域にも関連した市場としての性格や現在西側の山麓に移った常福寺(じょうふくじ)(現明王院)の門前町などの性格が加わっていったものと考えられる。
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