広島県の文化資源画像

万葉集遺跡長門島松原(まんようしゅういせきながとじままつばら)

 『万葉集』巻十五に天平8年(736)遣新羅使(けんしらぎし)の「安芸国長門島船泊磯辺作歌」5首と「従長門浦舶出之夜仰観月光作歌」3首が記載されており、その船泊の地が現倉橋町桂浜であるとされて、昭和19年(1944)県史跡に指定された。
 指定面積は約1ヘクタール、昔ながらの美しい砂浜に約500本に上る松原が続く風景は
 わが命を長門の島の小松原
 幾代を経てか神(かむ)さびわたる
などと歌われた歌意にかなう景勝の地。
 区域内には「万葉集長門島之碑」(歌碑)や、戦時中の食糧難に寄与したといわれる「もずくの碑」、桂浜神社の大鳥居などがある。
 また、隣接の洋式ドックは享和(きょうわ)年間(1801~4)に造られた日本最古のもの。「’89海と島の博覧会ひろしま」用の遣唐使船もここで建造された。この復元遣唐使船は今、桂浜東端の「長門の造船歴史館」に納められている。
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写真説明

海水浴場としても有名(平成4年頃の写真)
【写真ガイド】
JR呉線呉駅から室尾、鹿老渡行きバスで桂浜下車。

メモ

 倉橋島の古名が長門島であったことは、尾立の八剣(やつるぎ)神社の文明(ぶんめい)12年(1480)の棟札に「長門島」と記されていたことや、長門崎、長門口の地名があることから分かった。
 この島は古くから造船の島として有名で、推古(すいこ)天皇の代から奈良時代へかけて幾たびとなく外国使節団用の船を造った記録がある。
所在地呉市倉橋町桂浜

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