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鞆の浦(とものうら)

 沼隈半島の水呑から阿伏兎(あぶと)に至る鞆断層崖の東側の海上は、仙酔島・つつじ島・皇后島・弁天島・玉津島・津軽島など大小の島が浮かぶ景勝地である。その中心が仙酔島で、仙人が美しい景色に酔って臥(が)した島と伝える。
 仙酔島や弁天島を望む好位置にある福禅寺は、朝鮮通信使の正使・副使・従事など三使の宿館とされることが多かった。正徳元年(1711)の使節団は「日東第一形勝」と賞し、李邦彦の書が額にして残されている。「対潮楼」の名は、寛延元年(1748)の使節団によって付けられたという。この建物は、福禅寺の客殿で、元禄年間の創建とされる。
 半島の南端は険しい海食崖となり、阿伏兎岬は切り立つ断崖の上に朱の磐台寺(ばんだいじ)観音堂が建つ奇勝を生んでいる。沖を通る船の航海安全の祈願所でもあった。
 鞆の浦は、古代以来、潮待ち・風待ちの港として賑わった。『万葉集』にもこの浦を詠んだ歌がみられる。中世にも、人の往来や物資の集散で活況を呈した。南北朝時代には、軍事上争奪の対象となった。
 『老松堂日本行録』『海東諸国記』など外国文献にもその名が記されている。
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