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敷名の千年藤(しきなのちとせふじ)

 福山市沼隈町常石の敷名浜から厳島神社へ上る参道入口にある藤のこと。
 『平家物語』巻4の「還御(かんぎょ)」によると、治承4年(1180)に高倉上皇が厳島詣での帰途、ここ敷名の浜に船泊りされた時「色ふかき藤の松にさきかかりけるを」手折らせて「歌あるべし」といわれたのに答えて、大納言隆季(たかすえ)が
 千とせへん君がよはひに藤浪の 
松の枝にもかかりぬるかな
 と一首を献じた。以来この藤を「千年藤」と呼んでいい伝えて来たという。
 江戸時代の寛保3年(1743)には藩主が領内巡視のさい、ここに「千年藤」の立札を立てさせたという記録があり、そのときの藤は東西4間(約9メートル)、南北10間(約18メートル)もあったというが、以後も何代か入れ替っていて、現在のものはそれ程大きくはない。
 明治22年(1889)の合併によって誕生した旧千年村の村名や、千年小・中学校の校名は、この「千年藤」の故事によって名付けられたものである。
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