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川尻筆
(かわじりふで)
川尻筆の歴史は古い。「川尻史」によると天保6年(1835)、菊谷三蔵が筆商を始め、摂州有馬に行き銀六両(田一反五畝売却代金)を持って問屋から筆を仕入れ、寺子屋などに筆の置き売りを行い、かたわら筆づくりの有利なことを力説したという。
次いで嘉永3年(1850)、川尻村の上野八重吉が出雲国松江の筆の産地から職人を雇い入れて筆の製造を始めた。ところが当時出雲は「ねりまぜ」という高級筆を作り、安芸熊野は「ぼんまぜ」といって早くて大量生産をする特徴を持っていたので、八重吉は両者のいいところを取り入れて筆の製造を行った。
以来、川尻筆の製造は有利に展開し、幾多の生産業者が輩出し技術の向上に努め、特に明治末期から昭和の初めにかけて隆盛を極めた。もっとも戦中戦後、一時不振時代があったが昭和33年に改訂された学習指導要領で書写が国語科の中に位置付けられ、以後筆の需要が増加した。平成16年8月31日に国の伝統的工芸品の指定を受け現在17近くの業者があり、年間出荷額は全国筆生産の25パーセントを占め、呉市川尻町の産業発展に寄与している。
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