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流離抄(りゅうりしょう)

 この市(まち)やわれを追ひけり
 そのかみにわれを追ひけど
 二つなきこれやふるさと
 かりそめに今日帰り来て
 三篠川ひたにくだれば
 赤々と夕日さすにも
 わが旅の愁ひ(うれひ)新たに
 落ち舟は留むるすべなし・・・・・・・
 大木惇夫の第6詩集「冬刻詩集」<昭和13年(1938)>にある「流離抄」と題する一編。広島・三滝寺の参道わきに詩碑がある。
 大木惇夫は広島市生まれ。北原白秋の詩にあこがれて20歳で上京。大正14年(1925)の処女詩集「風・光・木の葉」で一躍詩壇に登場したが「冬刻詩集」のころは「身を埃深き巷(ちまた)の雑沓裡に没せり」と後記で語っているようにひたすら望郷の念止みがたきものがあった。
 その後、太平洋戦争に宣伝班の一人として従軍、乗船が雷撃で沈没して生死の境をさまよい、戦後はひっそりと帰郷して三滝山の一角に幾年かを過ごすなど、浮き沈みの激しい一生を送ったが、一貫して“詩人の魂”を貫いた。
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