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天領上下代官所跡(てんりょうじょうげだいかんしょあと)

 元禄11年(1698)福山藩の水野氏が断絶すると、幕府は藩内の検地を行い、後任の松平(まつだいら)氏に10万石を与え、残り5万石は直轄領(天領)とした。このため同13年(1700)には曲淵市郎右衛門を安那(やすな)郡10村、神石郡37村、甲奴郡24村の代官として派遣、上下に代官所を置いた。享保2年(1717)には中津藩(大分県)に2万石が分けられ、また、一部は笠岡代官所の管轄となったため、その管轄は神石郡10村、甲奴郡12村の計1万3千石と縮小したことから、代官所は石見大森代官所の出張(でばり)陣屋となった。その後も管轄区域に多少の変動はあったが、この形態は明治まで続いた。
 代官所の置かれた上下は、石州街道に面し、石見大森代官所への往来や銀山諸荷物運搬など交通の要衝であり、代官所支配の有力商人による金融業も発展したことから、代官所を中心とした一大宿場町として栄えることとなった。
 代官所の跡には、現在、市役所支所が建っているが、周囲の石垣は往時のままである。
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